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灘祭り・灘まつり・灘のけんかまつり

白木の新調松原屋台松原新旧屋台松原八幡神社楼門前へ厩松原村屋台到着

松原八幡神社楼門と厩松原村屋台

きもの継松庵つぎたに KIMONO KEISYOUAN TSUGITANI


2016年(平成28年)神輿練番は中村


執行2015schedule.pdf へのリンク日程
10月14日・15日 
交通規制P9280291.pdf へのリンク

2015年(平成27年) 練番は宇佐崎
14日(宵宮)、15日(本宮)両日共、近年稀な秋晴れで絶好の祭り日和に恵まれた本年も、盛大且つ厳粛に挙行され大勢の見物客の中に外国からのお客様が特に多く見受けられ、その華燭と豪胆さに驚かれていたようでワンダフルの連呼でした。きっと姫路城、白鷺城と呼ばれる見事な白さに感銘を受けられた事でしょう。

松原八幡神社
現在の美しい破風造り屋根の幣殿、拝殿は、平成7年7月に修築されました。この地に九州の宇佐八幡宮より分霊を勧請(かんじょう)して創祀(そうし)されたのが、天平宝字7年(763)と伝えられています。松原八幡宮拝殿又、京都の石清水八幡宮とも平安時代後期から室町時代にかけて深いかかわりがあり、松原荘の荘園領主が石清水八幡宮だったようで、その放生会(ほうじょうえ)が「松原八幡神社秋季例大祭」、つまり「灘まつり」のはじまりといわれています。放生会とは、「捕らえた生き物を放してやる儀式」のことで旧暦8月15日が祭礼日だったのを、旧暦9月15日に変更したと文献に記されています。

平成25年(2013年)姫路市白浜町の松原八幡神社秋季例大祭、呼称[灘まつり」又は、「灘のけんか祭り」

宵宮の10月14日はお天気で、参加者や沢山の見物客を魅了しました。

本宮の15日は午後より雨天の予報でしたが翌日以降も荒天予報で、祭事執行、未明よりお旅山広畠練り場の清め神事を終えた後、早朝には八家地区はの汐かき。お宮では東山屋台を先頭に木場、松原、妻鹿、宇佐埼、中村と次々に自慢の屋台が豪華絢爛、威勢良く宮入し、練り番八家の宮うつしの神事、神輿合わせが始まるころには降雨でしたがそれでも沢山の見物客の喚声で賑わいました。

後は、お待ちかねのお旅所、広畠へ、そこにはあいにくの空模様にもかかわらず何万の観衆が、待ちうけその豪快・豪壮・華麗・雅さ・長く続く伝統行事に大きな歓声や拍手喝采が有り皆が灘まつりを堪能させましたが、屋台の山登りは状況判断で自粛されました。私の子供の頃に台風の影響でされた記憶があり何十年ぶりとの事だったようです。
2014年は八家屋台が新調
神社境内のお札授与所 毎年、10月1日に安全祈願のお札を授かり腕守りに収め
祭り当日、身に付けます。
旧宇佐崎村の神輿遷都祭 10月1日、年番の旧村が神輿を拝殿への神事
「神輿奉据祭」が催され、この年は神輿が新調された。
新調の神輿 新調された3基の神輿、中央が一の丸、左に二の丸、右に三の丸、神輿の新調は痛みが酷くなると、総代会にはかり旧宇佐崎村のみが担当し、練り子のハッピ(肌襦袢)に漆負け除けに背中に蟹が描かれる。

他の6カ村は大修理が練り番(年番)の年に奉じられる

東山村の提灯は三木城の別所氏に社殿を焼き討ちされたうえ、対陣し勝利した羽柴秀吉に講田社領を千石千貫からわずか60石に減らされたが、黒田官兵衛の尽力で当地に再建された際、収入がなく多くの禰宜、神官等が東山に移住し、農業で生活しながら三百年間、祭礼には神主になりその役目を勤めてきた事に由来し「東山が宮元」といういわれのあかしとなっている。

本宮、この地区の人が先頭に立って白装束の神主姿でお旅山への「神官渡御」の行列を神事として行っています。
                  宇佐崎屋台の宮入                          本宮の宇佐崎屋台宮入の勇姿。
旧中村屋台と手前旧妻鹿村屋台 中村の宮入、手前は妻鹿、楼門の中村提灯は中村に寺家が集中し守った事に由来、本殿、拝殿をぐるりと松原村の提灯が献納されている。
 矢倉畑で露払い、未明の獅子だんじり  未明暗闇を神事の為、照明ご法度のテンテンツキとの共に駈ける少年たち、こ れより本宮が始動します
到着した暗闇の広畠練り場で獅子舞を奉納し祭りの安全を祈願します。
 獅子屋台(テンテンツキ)  傘鉾(かさぼこ)と獅子屋台
 本宮当日は、こうして松原村の「日本の音百選」にも選ばれている、テンテンツキが太鼓を止めることなく打ち鳴らしながら練り上げたり、地面に放り投げたりして矢倉畑全域を清めますがその時の歌は、「若ノ松 セーヱ ママ ソラ エッサノサカ ヨーオ ヨーオ ワーモ ショウゲャ オモシロヤ ナンジャノー ヒョウタンヤ サアー エットヱー」歌い終わると同時に屋台を天高く差し上げ空中に放り投げます。。こうして練るためか松原村では獅子檀尻を獅子屋台と呼んできました。
 汐かきの儀   汐かきの儀
神輿練番の村は本宮早朝海水で身を清める神事をします。
 松原正副総代丁ノ馬を先頭に  楼門から練り番による宮移し(汐かき)
 神輿合わせ  激しい神輿3台合わせ 一の丸(應神天皇)、二の丸(神功皇后)、三の丸(比咩大神・ひめおおかみ)。 

この行事は神功皇后が三韓遠征の帰途、白浜沖で軍船に付いたゴイナ(かき)を互いに擦り落とした故事に因むと伝えられ、神輿合わせが激しい程神意に叶うといわれている。
 お旅所風景  お旅所の桟敷観覧席は満席、広畠の練り場では、東山屋台、宇佐崎屋台、八家屋台の3台練りが佳境で興奮の極みで大拍手、喝采が続く、宇佐崎屋台、東山屋台、しんがりは八家屋台とお旅山の別宮へと登り、祭りは最高潮となります。
神官一行の下山、松原の獅子屋台(檀尻又はテンテンツキ)、神輿、とそれぞれの神事が夕暮れから木場のお迎え提灯、屋台、松原屋台……夜間へと延々と続き、オオ.
ブラボー.ワンダフルと外人さん達の興奮の声があちこちから聞こえる程、日本の雅、華麗、豪華絢爛、贅、勇気、覇気が凝縮されここにあると言っても過言ではないかと思う祭りも来年へと続きます。
   楼門前で激しくぶつかりあう三基の神輿
 旧妻鹿村の毛獅子舞  妻鹿へ帰る、毛獅子に大観衆から拍手喝采で見送る。
 旧宇佐崎村の幟もちの背中  幟持ちの背に書かれたうたの一節。
他には、伊勢参りの道中うたなどがあります。
 2007年本宮木場宮入り  木場年番宮入り
 木場のお迎え提灯  本宮の夕暮れ時、木場のお迎え提灯も祭終焉近しでどこか寂しそう。
   
   
   
   


                                   

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