灘まつり(灘のけんか祭り)について
祭日 10月 14日(宵宮)・15日(昼宮・本宮 荒天順延有り)

松原八幡神社の美しい破風造り屋根の幣殿、拝殿は平成7年7月に修築されました。この地に九州大分県の宇佐八幡神宮より分霊を勧請(かんじょう)して創祀(そうし)されたんが、天平宝字7年(763年)と伝えられています。又、京都の石清水八幡宮とも平安時代後期から室町時代時代にかけて深いかかわりがあり松原荘の荘園領主が石清水八幡宮だったようで、その放生会(ほうじょうえ)が「松原八幡神社秋季例大祭」、つまり「灘まつり・灘のけんか祭り」の始まりといわれています。
放生会とは、「捕らえた生き物を放してやる儀式」のことで旧暦8月15日が祭礼日だったのを、旧暦9月15日に変更したと文献に記されています。

2014年御旅所広畠、東山、八家屋台の練り合わせ。

本宮の日には、激しい神輿合わせ、一の丸(應神天皇)、二の丸(神功皇后)、三の丸(比咩大神ひめおおかみ)を祭神とした神輿。この神事は神功皇后が三韓遠征の帰途、白浜沖で軍船に付いたゴイナ(かき)を互いに擦り落とした故事に因むと伝えられ、神輿合わせが激しい程、神意に叶うといわれています。

汐かきの儀 神輿年番の旧村は本宮早朝(6時頃)、冷たい海水で身を清める儀式をします。

露払いの儀 本宮当日は舊松原村の「日本の百音選」にも選ばれている、テンテンツキ(獅子屋台)が太鼓を止めることなく打ち鳴らしながら練上げたり、地面に放り投げたりして矢倉畑全域を清めますがその時の歌は、「若ノ松 セーエ ママ ソラエッサノサカ ヨーオ ヨーオ ワーモショウゲヤ オモシロヤナンジャノー ヒョウタンヤ サアー エットエー」歌い終わるやいなや屋台を天高く差し上げ空中に放り投げます。こうして練るためか、舊松原村では獅子壇尻を獅子屋台と呼んできました。

5万人又は6万人ともいわれる、矢倉畠(広畑)観覧席の観客にヤンヤの喝采で送られ妻鹿へ帰る毛獅子。

灘のけんか祭り両日は、参加者や御見物のお客様でごったかえています。充分ご注意下さい。屋台などに近づき過ぎない、特に本宮の御旅所周辺は危険です。以上をご理解の上で上記の交通規制や行事予定表をご参考にしてお楽しみ下さい。
フォト集
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1994.10.14 7台の屋台
松原八幡神社楼門前練り場に旧7ケ村の屋台が揃いました。現在は宵宮夜に見れる事が有ります。
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宇佐崎練番の神輿合わせ
練子の着ている法被に蟹の絵が付いています。これはこの村のみです。
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舊松原村の前髪紙手
小学校5年生から中学3年生のみんなの笑顔です。
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拝殿前の神輿幟
2011.10.01 妻鹿練番の風景。
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御旅所広畠
旧東山村屋台と旧八家村屋台。
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神官渡御の先頭
こうして神官渡御行列が始まります。
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御旅所広畠の練り場
妻鹿町、旧宇佐崎村屋台、旧東山村屋台
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旧木場港の練番神輿練
広畑へ入場してくるようす。
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広畠手前舊松原村、奥旧中村屋台
御旅所広畠の屋台練
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広畠旧妻鹿町、旧宇佐崎村屋台、旧東山村
御旅所練番、左から妻鹿、宇佐崎、東山です。
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舊松原村の屋台と獅子屋台(だんじり)
本宮、御旅所広畠へ向かう準備をしています。
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広畠、旧3ケ村屋台
左妻鹿町、右手前舊松原村、奥旧中村屋台です。
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宮入りする、宇佐崎、手前は妻鹿屋台
旧宇佐崎村の宮入りと手前汐かきで見守る旧妻鹿町の屋台です。
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神輿練り番の潮かき
舊松原村練番の時の風景です。
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旧宇佐崎村屋台の宮入り
バランスの良い屋台練です。
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旧中村屋台の宮入り
手前は旧妻鹿町の屋台です。
まだまだあります、只今準備しています。しばらく時間をいただきます。
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